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1990年代の村上春樹 『スプートニックの恋人』の頃

カルチャー

80年代後半~90年代の村上春樹

1999年4月、90年代のおわりに『スプートニクの恋人』は、刊行された。

大ヒット作『ノルウェイの森』から12年後のことである。
『ノルウェイの森』が刊行された80年代後半は、村上春樹の作家人生において、大きな潮目であった。

87年の『ノルウェイの森』が空前の大ヒットを記録。
88年には『ダンス・ダンス・ダンス』を刊行し、これを持って鼠三部作と呼ばれていた『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』に連なる物語が完結した。
80年代の後半の村上は、79年に『風の歌を聴け』でデビューして以降、もっとも成功し、そしてひとつの区切りを迎えた時代であった。

区切りを迎えたあと、90年代に入ると村上の模索がはじまる。
90年代最初の年、86年から89年にかけての海外での日々を記録した旅行記『遠い太鼓』が上梓され、これはのちに『スプートニックの恋人』などの元になる。

92年に『国境の南、太陽の西』の発表を経て、
次作『ねじまき鳥クロニクル』(1994~1995年)の刊行のさなか、社会的事件が起きる。

『ねじまき鳥』第三部の刊行を控えた1995年1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が発生したのだ。

サリン事件を受けて村上は、

地下鉄サリン事件の被害者を取材した自身初のノンフィクション『アンダーグラウンド』(1997年)、

オウム真理教の信者を取材した『約束された場所で underground2』(1998年)

を刊行している。

『スプートニックの恋人』の刊行と人気

99年発表の『スプートニクの恋人』は、
そんな一連のノンフィクション執筆後に刊行されたはじめての小説ということになる。

よって少なくない読者が、それら社会的事件の、村上作品に対するなんらかの影響を期待した。

しかし、その期待が叶うのは『スプートニックの恋人』ではなく、2000年の短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000年)まで待たなくてはいけなかった。
(『神の子どもたちはみな踊る』に収録された作品はすべて、1995年2月の出来事だと設定されている)

つまり、『スプートニクの恋人』は、それまで純文学的で、現実にあった事件などをとり扱って来なかった村上が、

ノモンハン事件が登場する『ねじまき鳥クロニクル』、
オウム事件を取材した『アンダーグラウンド』、
震災を扱った『神の子どもたちはみな踊る』
といった社会派なテーマを取り上げるようになる過渡期に発表された作品、ということになる。

しかし、前述のように、刊行当時は『アンダーグラウンド』などのノンフィクションの執筆の影響を注目され、

現に書評には、オウム真理教とのかかわりを見出すものが多く見られた。

にもかかわらず、『スプートニクの恋人』が社会派な作品かというと、そんなことはない。総評としては、良くも悪くも、村上春樹っぽい作品というのが、今作の評価と言ったところなのだ。

人気ランキング的にはほとんど人気がない。
『アフターダーク』の次くらいに低い。全然人気ない。

ただそんな人気のない『スプートニックの恋人』は、発表された時期をにあって、不思議な位置にあることはすでに明白である。

先述の80年代の大ヒットと、一連の過去作の完結。

90年代から作品に帯びる社会性。

それはよく、「デタッチメントからコミットメントへ」、というよくわからない高尚な言葉で表現されている。

簡単に言えば、受け身体質の奴が積極的になった、くらいの意味だろうか。

これら作風やテーマの転換の最中にあって、『スプートニックの恋人』は、なんの社会性も感じられない、旧来通りの作品である。

だからこそ、なにか過渡期の重要な位置にいるのではないか、そんな風に思われてならない。

記事のつづき
村上春樹「スプートニクの恋人」あらすじと作中の時代、ギリシャの島のモデル【考察】

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