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村上春樹「スプートニクの恋人」あらすじと作中の時代、ギリシャの島のモデル【考察】

カルチャー

前回の記事(時代背景の考察)
1990年代の村上春樹 『スプートニックの恋人』の頃

あらすじ

22歳の春に「すみれ」は生まれて初めて恋をする。相手は「ミュウ」という夫のある17歳年上の女性だった。

すみれの大学の先輩で、小学校教師の「ぼく」(K)は、すみれのことが好きだが、彼女が自分を恋愛対象と思っていないことに気づき、気持ちを打ち明けられずにいた。

一方で、ぼくは7つ歳上の「ガールフレンド」と肉体関係を持っていた。ガールフレンドには夫があり、なおかつガールフレンドの息子「にんじん」はぼくが受け持つクラスの生徒だった。

大学中退後、すみれはミュウのもとでアシスタントとして働き、ミュウの仕事に同行してヨーロッパ各地からぼくに手紙を送る。

8月のある日、ぼくはギリシャへ来てほしいというミュウからの電話を受け、ギリシャの小さな島へと赴き、すみれの失踪を知る。

失踪直前、すみれはミュウに肉体関係を求めたが、ミュウは過去の経験から性欲がなかった。ミュウに拒否された翌日、すみれは姿を消した。
すみれをさがす中、ぼくはすみれが残した二つの文書を見つける。

文書には、すみれが見た夢の話と、ミュウから聞いたある体験が書かれていた。
文書を読みながら、ぼくはすみれが「あちら側」に行ってしまったのではないか、という仮説を立てる。そして、すみれはもう戻ってこない、と感じた。

ある夜、遠くからギリシャ音楽が聴こえてくる。ぼくは部屋を出て音楽の鳴っている方へと向かうが、途中で激しい悪寒に襲われる。音がやむと、そこには誰もいなかった。

結局、音楽の正体もすみれの行方もわからないまま、ぼくは日本に帰る。

帰国して新学期が始まったある日、ぼくはガールフレンドに呼ばれた。

呼び出されたスーパーマーケットで、ぼくはにんじんの起こした万引き事件を穏便におさめる。
その帰り道、にんじんと心を通わせる。
その後、ガールフレンドとは別れを告げ、年が明けるとにんじんの担任からも外れる。

一方のすみれについては、半年以上たっても消息はわからなかった。
そんなある日、東京で車を運転するミュウを見かけるが、彼女は別人のようになっていた。

その日の明け方、ぼくが枕元の電話機を眺めて、すみれが自分に電話をかけているところを想像していると、本当にすみれから電話が掛かってくる。

彼女は「ねえ帰ってきたのよ」「ここに迎えにきて」とぼくに言う。

舞台は1997年の日本とギリシャ

本作は1997年頃の話だと言われている。

しかし作中には、具体的な言及はなく、

唯一、ヒロイン「すみれ」の文章が収められたフロッピーディスクのラベルに「19**8月」と書かれていたが
具体的には伏せられている。

ただ先人が、作中の記述から物語が何年のことかを推定している

根拠① 成田発アテネ行きの直行便 

柘植光彦は、「ぼく」が成田空港でアテネに向かう際に、

「成田発アテネ行きの直行便というものは、そもそも存在しない」

と言われている点に注目した。

この記述をもとに、

柘植は1994年まで東京・アテネ直行便を週に2便運航していたことを調査し、

アテネ行きのなくなった1995年以降だとしている。

根拠② 国立(くにたち)の市外局番 

また柘植光彦は、
すみれの持っていた赤いスーツケースに付いた鍵の暗証番号がぼくの住む国立(くにたち)の市外局番「0425」だった点にも注目。

実は国立の市外局番は、現在は「042」に変更されている。 

柘植によれば、市外局番が「0425」から「042」へ変更されたのは1997年の10月らしい。

根拠③ リュックベッソンの映画

また、文芸評論家の加藤典洋も年代特定を行っている。

「ぼく」が新宿の映画館で「リュック・ベッソンの映画」を見る点に注目。

加藤典洋は、これを1997年に封切られた『フィフスエレメント』だとしている。

※リュック・ベッソンは、「レオン」や「ニキータ」などで知られるフランスの映画監督。「フィフスエレメント」は彼の監督作品であり、ブルース・ウィリス主演で1997年に封切られている。

年代特定まとめ

以上の3点をまとめると、

・成田発アテネ行きの直行便がなくなった1995年以降かつ
・国立の市外局番がまだ「0425」であった1997年以前であり、
・リュックベッソンの映画が公開された年


となり、95年~97年のうちリュックベッソンの映画が公開されたのは97年のみなので、
物語は1997年の出来事が中心ということになる

舞台は、ギリシャの架空の島

物語の後半、舞台は日本からギリシャの島へと移動する。

この島の名前も、作中では言及されない

実際のギリシャには、いくつもの島がある。
では、いったいどこの島ですみれは姿を消したのだろうか。

一説には、
ロードス島クレタ島の中間に位置するカルパトス島
あるいは、
『遠い太鼓』(1990年に刊行された村上春樹の紀行集)に登場するハルキ島
といったギリシャに実在する島々が挙げられている。

紀行集『遠い太鼓』には、
1989年5月末に村上がギリシャ政府からの招待でロードス島を訪れた際の様子が書かれている。

さらには、ロードス島周辺のハルキ島、カルパトス島を旅したことも記されていた。

結論から言えば、
島の位置人口産業歴史を比較すると
作中に登場する「ギリシャの島」は、ロードス島・ハルキ島・カルパトス島といった実在する島々での体験が混ざり合成することでできた、架空の島といえる。

根拠① 島の位置

『スプートニクの恋人』で島の位置については、こう描写されている。

・エーゲ海に散らばっている大小無数の島の中
・トルコとの国境及びロードス島の近くにある
・世界地図上では「あまりにも小さくて、かたちもよくわからない」島


『遠い太鼓』を見ると、ハルキ島についての描写がそれに近い。

ハルキ島は、

・エーゲ海のトルコ沿岸に沿って展開するドーデカニス諸島の十三の島のひとつ
・ドーデカニスの中でもロードス島にいちばん近い
・島には空港はないので、(空港どころかバス停さえない)、船で行くしかない


と書かれていることから、島の位置、移動方法ともに類似している。

またロードス島、カルパトス島に比べ、ハルキ島は地図上では省略されるほど小さい。

根拠② 島の人口

『スプートニクの恋人』では島の人口について

・3000人から6000人、季節によって異同がある
・観光客の増える夏場にはいくぶん人口が増え、冬場には出稼ぎで人口が減る


この記述と比較して、
『遠い太鼓』では実在のギリシャの島々=ロードス島・ハルキ島・カルパトス島が村上春樹によってどう紹介されているか見てみよう。

まずハルキ島。
島の位置が『スプートニク』と酷似していたハルキ島の人口は「三百人」。
「3000人から6000人」という作中の人口とは合わない

最も人口が近いのは、カルパトス島。
その人口は「七千」人とされている。

さらにカルパトス島には、

・「夏になると一万五千人くらいがアメリカからここに帰ってくるんだ」
・「七月と八月にさ、たんまり金を持ってさ。だからこの島の連中はけっこう裕福なんだ。そういう仕送りなんかがあるから、観光にあくせくしなくてもいいんだわ」


という現地のタクシードライバーからの証言が書かれているため、

人口面ではカルパトス島の方が近い。

根拠③ 島の産業

『スプートニク』作中の島の産業についての記述を引用すると、

・これといった産業はない
島で「とれるのはオリーブと、何種類かの果物くらい」、あとは「漁業と海綿採り」で生活している
・「今世紀に入ってから多くの島民がアメリカに移民した」
移民した住民の「多くはフロリダに住んでいる」
移住先の「フロリダには彼らの島の名前にちなんだ町がひとつある」

島の住人が「漁業と海綿採り」(『スプートニクの恋人』)をして暮らしているという記述は、
ハルキ島の現地住民の「みんなスポンゴ採りだった」(『遠い太鼓』)という証言が反映されている。(スポンゴ=海綿、スポンジの原料のこと)

またハルキ島の現地住民が、

生活に苦しくなった島民の多くがアメリカに移民し、
その「ほとんどはフロリダで海綿採りをしている」とも証言している。

「フロリダにターポン・スプリングという町があって、そこにはハルキ島出身者が集まって、コミュニティーのようなものを作って暮らして」おり、
さらに「島に残っている人々の大部分は漁業に従事している」(『遠い太鼓』)とある。

このことから産業面はハルキ島がモデルとなっている可能性が高い。

根拠④ 島の歴史

『スプートニク』作中では、島の歴史について

・紀元前、ギリシャ文明が栄えていた時代には貿易中継港として栄えた。
・ギリシャ衰退後はトルコ人の侵略、第二次大戦ではヒトラーの軍隊の侵略にあっている。
島の山頂には国境侵犯や密貿易を監視も兼ねたレーダー施設、軍の警備艇が出入りする別の小さな港がある。
町には兵隊の姿が見受けられる
1960年代後半にはイギリス人の作家が何人か住み着き、小説を書いた
・書かれた作品のいくつかが高い文学的評価を受けたことで、島は「英国文壇においてある種のロマンチックな名声」を獲た。

とされている。

『遠い太鼓』でのロードス島、ハルキ島、カルパトス島の記述を見ると、実際の歴史と『スプートニクの恋人』での歴史とでは、いくつかの改変が見られる。

たとえば、ドーデカニス諸島全体(ハルキ島、カルパトス島を含んだ島々の総称)は、歴史的には、ドイツではなくイタリアに占領されている。
『遠い太鼓』では以下のように書かれている。

イタリアは伊土戦争のときにトリポリとトルコを結ぶ補給線を断つためにドーデカニス諸島を占領し、戦争が終わってもそのまま占領を続けたのだ。だからたとえば、レンタカー屋のガトリスはイタリアとギリシャの混血である。

『遠い太鼓』

史実では、ドーデカニス諸島は、当時属していたオスマン帝国(トルコ)が崩壊したあと、一度イタリアに併合され、第二次大戦後の1947年にギリシャへ譲渡されている。

『遠い太鼓』では触れていたイタリアの占領を、『スプートニクの恋人』ではドイツ(ヒトラー)の占領へ変更したことになる

最後に、
『スプートニクの恋人』にある1960年代の後半にイギリス人の作家が何人か住み着いて小説を書いたという話について。
その直接的な由来については、『遠い太鼓』の中には見つからなかった。

だが、『遠い太鼓』のなかにロードス島で「エプタ・ピゲス(七つの滝)」というレストランを訪れた際の記述に、興味深い言及があった。

そのレストランには、なぜかたくさんの孔雀がおり、レストラン近くの林に住み着いていた、という。

レイモンド・カーヴァーの短編小説に『羽根』というのがあって、そこに半分野生化した孔雀の話が出てくるのだけれど[中略]そういえばカーヴァー氏もロードスに来たことがある。彼はずいぶんこの島が気に入ったらしく、ロードスを題材にしていくつか詩も書いている。あるいは彼もこのエプタ・ピゲスに来て孔雀を見て、あの話を思いついたのかもしれない。

『遠い太鼓』

ロードス島のこのレストランをアメリカン人作家のレイモンド・カーヴァーが訪れ、その時の体験をもとに小説を書いていたのではないか、という想像を村上はしたらしい。

レイモンド・カーヴァーは、村上が好んでいるアメリカの作家のひとりである。
村上自身が多くのカーヴァー作品を翻訳している。

言及された短編「羽根」を収録した短篇集『大聖堂』↓


カーヴァーが活躍したのは、1970年代のアメリカであり、『スプートニク』作中にある1960年代のイギリスの作家ではない。

しかし、この時の印象から村上が「一九六〇年代後半」、「イギリスの作家」、とアレンジした可能性もあるかもしれない。

その他の島

『遠い太鼓』によれば、ロードス島、ハルキ島、カルパトス島以外にも、村上はギリシャの島々を訪れている。

ロードス島を訪れる3年前、1986年には「スペッツェス島」に滞在した。
この時期の『遠い太鼓』には、

「面白いことに、女の人がビーチで水着の上の方をはずして乳房を[中略]出してい」て、
「観光客同士はそういうのをじろじろと見たりはしない」


と書かれている。

『スプートニクの恋人』にも、ミュウとすみれが島のビーチで裸で泳ぐシーンがあるが、これもギリシャで見た風景がもととなっているかもしれない。

島のモデルまとめ

以上をまとめると、

・島の場所は、ハルキ島
・島の人口はカルパトス島
・島の産業面はハルキ島
・島の歴史については、島々の歴史を引用、改変し合成した

可能性が高い。

丁寧に作中の描写と『遠い太鼓』の描写を比較すると、
村上は自身がギリシャの島々で見た風景を、作中で合成された架空のひとつの島として描写していることがわかった。

インタビュー(「スプートニクの恋人を中心に」)で、

この小説のギリシャの描写は、[中略]わりによく書けてると思う(笑)」

と、特定の島としてではなく「ギリシャの描写」と冗談交じりに自負したことも、
自身が見た感じた”ギリシャ”の風景をほぼそのまま書いているためだとわかる

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物語への影響

このギリシャの島が、ひとつの特定の島ではなく、合成された架空の島であることは物語にも少なからず影響を与えている。

ギリシャの島が架空なことと対照的に、ぼくが暮らす国立・吉祥寺・代々木上原・立川、ミュウとすみれが旅したローマ・ヴェネチア・ミラノ・パリといった場所は、具体的な地名が挙げられている。

つまり島以外の場所は、リアルなのである。

物語後半ですみれが忽然と姿を消した時、ぼくはすみれが「こちら側から、あちら側」へ行ったという「仮説」を立てる。

そうすると、ギリシャの島はそれまでのリアルな世界(こちら側?)から、「あちら側」へと繋がる不可解な場所ということになる。

単にギリシャという海外の土地だからと言うのではなく、

実在しない架空の島と考えれば、

その特殊で非現実的な空間を演出する効果を出しているのかもしれない。

参考文献

・柘植光彦「円環/他界/メディア――『スプートニクの恋人』からの展望」
(栗坪良樹・柘植光彦(編)『村上スタディーズ05』 1993年10月 若草書房 収録)
・加藤典洋『村上春樹 イエローページ3』 2009年10月 幻冬舎文庫
・村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997‐2011』 2012年9月 文春文庫

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