序文
「リンダリンダ」(1987年) リンダリンダ – Wikipedia
1985年に結成され、1987年にメジャーデビューしたパンクバンド「THE BLUE HEARTS」のメジャーデビューシングル。
作詞・作曲はボーカルの甲本ヒロト(以下、ヒロト)。アレンジのちがうシングルバージョンとアルバムバージョンの二種類のバージョンがある。
1985年に結成され、1987年にメジャーデビューしたパンクバンド「THE BLUE HEARTS」のメジャーデビューシングル。
作詞・作曲はボーカルの甲本ヒロト(以下、ヒロト)。アレンジのちがうシングルバージョンとアルバムバージョンの二種類のバージョンがある。
以下、歌詞
ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるからリンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダもしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さいリンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダドブネズミみたいに誰よりもやさしい
ドブネズミみたいに何よりもあたたかくリンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダもしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つリンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダリンダ
なぜ今さらブルーハーツの「リンダリンダ」について解釈を試みるのか。
きっかけは、(たんにブログに書くネタがないというのが本音は置いておいて)、去年2020年がブルーハーツのデビュー35周年であったことと、たまたま見たお笑い芸人のダイノジさんのyoutubeの動画を見たことにある。
この動画を見て、「なんか自分とは違うなあ」という感想を持った。
そのもやもやのはけ口として、自分なりに異論(とまではいかないが)を唱えてみようと思ったわけである。
といっても、単にぼくの意見を述べていくだけでダイノジさんの動画に反証していくわけではないので、あしからず。
さて、そもそもの話だが、もういまさらリンダリンダの解釈をするなんていうのは、つまらないことかもしれない。
ぼくが生まれた時にはブルーハーツは解散していたし、ぼくがブルーハーツを知った時にはハイロウズも解散していた。
ぼくはそんな、おじさんたちからしてみれば「へえ、ブルーハーツなんて聴くんだ。世代じゃないでしょ? 両親からの影響かな?」と思われるくらいの年齢である。
またgoogleで検索すれば、解説と名のつく文章がいくらでも出てくるし、音楽雑誌にも数えきれないくらい解釈・解説が存在している。
若輩者かつ、てんで素人のぼくが今さらなにか解釈をしてたところで時すでに遅し、似たような解釈をしているひとはたくさんいるのだろう。
そんなことは、バカでもわかる。バカー!でんでけでんでんでんでけでんでん。
そして、現にいた。
「ドブネズミとは何か?「NO FUTURE」を観て思う「リンダリンダ」の歌詞の意味 | JUKELOG」である。
いきなりの白旗で恐縮なのだが、このサイトの方の解釈はとても的を射ているように思う。
以下、上記のサイトからの引用。
これが一番大きいと思うんだけど、一言で言うと「ドブネズミ」は端的に「パンクス・パンクロック」のメタファーと考えられる。
(「ドブネズミとは何か?「NO FUTURE」を観て思う「リンダリンダ」の歌詞の意味 | JUKELOG」より)
ドブネズミとは、パンクロックのメタファー。
仰る通りだと思う。
おまけにしっかり「パンクロック」(パンク・ロック – Wikipedia)という曲とも重ね合わせてあって、もうぼくが考えていたことまんまなので、あとは特に言うことがないではないか。
その通りドブネズミ=パンクロックなのだと考えられる。
悲しいかな、このブログで言いたいことは上記のサイトに書いてあったのだ。くーくやしい。
では、さようなら…と、言うのはあまりに悔しかったので、がんばってこの個人的なブログで自分の解釈を独り言ちて見る。
ドブネズミ=パンクロック
では、ぼくは何を解釈するべきか?
先ほどのブログに書いてあったドブネズミ=パンクロックという解釈には全面的に賛成なのは間違いない。
未読の方は、すぐにあのブログを読んできてほしいが、端的にあのブログでぼくがその通りと思った部分を要約してお伝えする。↓
曲「パンクロック」はこんな歌詞から始まる。
吐き気がするだろう みんな嫌いだろう
作詞・作曲は「リンダリンダ」とおなじ甲本ヒロト。
収録されたアルバムも「リンダリンダ」とおなじ1stアルバム「THE BLUE HEARTS」(THE BLUE HEARTS (アルバム) – Wikipedia)。
作詞作曲がおなじで、製作時期が近いこともこの両者が重なるという点に信憑性が持てる。
「パンクロック」冒頭の歌詞から、ヒロトは自分以外のみんなにとってパンクロックとは「吐き気がする」、嫌いなものである、と考えていることが分かる。
しかし、ヒロトはそんなみんなが嫌っているパンクロックというものについて「まじめに考えた」結果、「ぼくパンクロックが好きだ」という結論に達するわけである。
2つの曲の歌詞を見比べれば見比べるほど、「ドブネズミ」と「パンクロック」の描写には共通点は多い。
「パンクロック」では、「やさしいから好きなんだ」と述べて、「リンダリンダ」では「ドブネズミみたいに誰よりもやさしい」と歌う。
そんな「吐き気がする」「みんな嫌い」だけれど「やさしい」のがパンクロックだとする「パンクロック」と、
一般的に嫌われ者な「ドブネズミ」を「やさしい」と歌う「リンダリンダ」は自然と重なり合う、と上記のブログはそう指摘しているのである。
繰り返すがその通りだと思う。
ヒロトは、ブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズとバンドは変えたが、「ロックが好き」、というその精神は1ミリたりとも変わっていない。
ロックが好きで、いつだってロックについて歌っているわけである。
少し前に出たクロマニヨンズの「ペテン師ロック」もその系譜に連なっている。「リンダリンダ」や「パンクロック」はその源流とも言えるわけである。
ちなみにわかりやすくするために、リンダリンダの「ドブネズミ」の部分を「パンクロック」に置き換えてみると、
パンクロックみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから パンクロックみたいに誰よりもやさしい パンクロックみたいに何よりもあたたかく もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい 愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない 決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
こうすることで、「リンダリンダ」はパンクロックへのヒロトの思いをつづった曲として、前半四行の意味がわかるのではないか。
では、後半の四行についてはどうだろう。
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい 愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない 決して負けない強い力を僕はひとつだけ持つ
この部分。
「愛の意味」とは何か。
「僕」が「ひとつだけ持つ」「決して負けない強い力」とは何か。
上記のブログでは、「リンダ」とは何かと合わせて、「決して負けない強い力を僕はひとつだけ持つ」の部分については、「聴く人に委ねられてるところが大きいと思う」とのみ書いている。
ここまで既存のブログの文章を紹介してきただけのぼくが、何か書けるとしたらここにだろう。
「愛の意味」とは何か?
「僕」が「ひとつだけ持つ」「決して負けない強い力」とは何か?
ひとまず、歌詞を分析してみよう。
愛の意味を知ってください
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
「僕」とは誰だろう。
きっと歌っているヒロトのことだろう。
では、「君」とは誰だろう?
「リンダ」だろうか、あるいは「リンダ」と仮の名を与えられた、一緒にロックについて話す「友達」だろうか。
ダーリンであると言う人もいるが、これも「大事な人」という意味あいがこもっている。
そういえば、「友達」という言葉は「パンクロック」にも登場している。
友達ができた 話し合えるやつ 何から話そう 僕の好きなもの 僕 パンクロックが好きだ
この部分である。
やはり2つの曲は共通しているのだろうか。
しかし「ドブネズミ」の時とは異なり、リンダの「君」とパンクロックの「友達」には違いがある。
「パンクロック」は「友達ができた」とあるのだから、すでに「僕」と「友達」は出会っている。
しかし、「リンダリンダ」の方は「いつか」「出会い話し合うなら」と言っているのだから、まだ「僕」と「君」は出会っていないのだ。
では、そんな出会っていない「君」に「僕」はどうしてほしいのか。
彼は「そんな時はどうか愛の意味を知って下さい」と言っている。
このあとに出てくる「決して負けない強い力」とは「愛」のこととも取れるかもしれない。
しかしこの歌では、「愛」はあまりいい意味では使われていない。
なぜなら続く歌詞で、「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」と、愛じゃなく恋でもない、と否定されているからだ。
歌詞を再度振り返ってみると、
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
僕は、いつか出会う「君」(おそらく僕にとっては話し合える相手なんだろう)に対して、「愛の意味」を知ってほしいと言う。
さらに、その「愛の意味」を知った上で、僕が君に対して抱く感情は愛でも恋でもないが、君を決して「離しはしない」と叫んでいる。
「離しはしない」というのは、しっかり掴んで(あるいは抱きしめて)離さないという動的、肉体的な表現である。
言葉で表現できないが、ただ離しはしないということだろうか。
結局「愛の意味」とは何なのか。明確には不明だ。
けれど、あくまで一般論で考えると、「愛」というのは人それぞれ解釈が存在しているものである。
要は、愛とはそれおぞれに「意味」が存在するものなのだ。
愛の形なんて人それぞれだよねーと言うあれである。
もしかすると、この歌詞にあって重点を置くべきは、「愛の意味」を定義することではなく、愛の意味という言葉を聴く側に考えさせることではないか?
そういう視点で曲の構成を振り返ると、ひとつの解釈が浮かび上がってくる。
決して負けない強い力
まず冒頭、「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」から始まり、サビ1リンダリンダ~。
次、一番「もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい」、そしてサビ2リンダリンダ~。
二番で「ドブネズミみたいに誰よりもやさしい ドブネズミみたいに何よりもあたたかく」、サビ3リンダリンダ~
三番、「もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんな時はどうか愛の意味を知って下さい」。
一番と三番で繰り返し「愛の意味を知ってください」と言われた時、聴き手はどうするだろうか。
無意識にでも「愛の意味」について考えるのではないか?
そのとき聴き手の頭には、それぞれの「愛の意味」が浮かんでいることだろう。
そして、大サビ前、「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」と歌われると、聴き手はそれまで頭に浮かべていたそれぞれの「愛の意味」を否定されてしまうわけである。
聴き手が頭に浮かべたような「愛」や「恋」を否定した「僕」は、そうではないなにか、
つまり、「決して負けない強い力」を「ひとつだけ持つ」と語って歌は終わるのだ。
では、僕が愛や恋の意味を否定してまで歌う、「ひとつだけ」持った「決して負けない強い力」とはなんだろうか。
立ち返る結論は、「青い心」である。
紹介したブログの解釈、ドブネズミ=パンクロック。
これに基づくと、「リンダリンダ」はパンクロックについて歌った曲である。
では、ヒロトがパンクロックに対して持っている「決して負けない強い力」とはなんだろか。
それは、「好き」という純粋な気持ちではないだろか。
ヒロトの言うおれはこれが好き、という感覚は、愛してるから「好き」、恋しているから「好き」といった動機によるものではない。
それはヒロト自身がパンクロックと出会ったとき、つまり、中学1年生でラジオから流れるマンフレッド・マンを聴いた時のエピソードからもわかる。
甲本:そう,とにかく聴いてびっくりしたんだ。それまでは音楽に興味がなかった ので,その音楽に感動しているか分かるまで時間がかかったんだよね。音楽に感動するわけがないと思ってたから。でも他に原因が見当たらなかったんだ。目の前に畳があって,畳をかきむしってみたけど畳に感動するわけもないから,やっと音楽に感動したことに気付いたんだ。
(「libra」2014年6月 14頁 )
非常に感覚的な出会いである。
なぜ自分がこんなにも感動しているのかわからない、言語にできない、そんな感覚。
それがヒロトにとって「好き」になることなのだ。
それはとても純真で、成熟していないまだ「青い心」と言える感覚。
このただパンクロックにたいして感覚的に「好き」だと思った、その「青い心」こそが「僕」の言う、
「決して負けない強い力」の正体ではないだろうか。
ここにきて、ぼくはこれまで「離しはしない」の主語を勘違いしていたことに気づく。
愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない 決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
ぼくはずっとこの部分を、「僕」が「君」を「離しはしない」のだと思っていた。
けれど本当は、「決して負けない強い力」つまり「パンクロックを初めて聞いた時のあの強い好きという感情」が「君」を「離しはしない」とうたっているのではないか。
愛でもない恋でもないが決して君を離さないそんな強い力を、僕は一つだけ持っているんだ。
その力は愛でもなく恋でもない。ただ聴いた瞬間にわかる強い「好き」という感覚。
「僕」はその感覚を「君」あるいは「リンダ」、あるいはぼくたち聴き手に味わってほしくて、この歌を叫ぶのである。
まさに1985年、日本代表ブルーハーツのメジャーデビュー曲にふさわしい曲と言える。
結論
・「リンダリンダ」は、パンクロックについて歌ったもの
・ドブネズミはパンクロックをたとえたもの。(メタファー)
・「決して負けない強い力」とは、「パンクロックが好き」という非言語的な強い感情のこと
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