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“it’s media”あるいはアトランタ児童殺人事件~風刺画に込められた背景を探る

ネットの噂シリーズ

はじめに イラストの元ネタについて

ネットであれこれ活動していると、見かけるこの画像。

マスコミの切り取り報道を見事に風刺したと評されたりするイラストだが、

この画像の初出は、
David Suter(デイビッド・スーター)という風刺画家が、
1985年に米の雑誌「タイム」に掲載されたエッセイ「The Dangers of Docudrama」のために描いた、”Selectvision”というタイトルのイラスト。

だとわかっている。

元ネタを特定したときの記事↓

では、このイラストの本来の意図とはなんだったのだろうか。

それを知るには、このイラストが添えられたエッセイ「The Dangers of Docudrama」(ドキュメンタリードラマの危険性、とでも訳すべきだろうか)の内容を知る必要がある

エッセイの著者が伝えたかったこととは?
エッセイが書かれた背景とは?


この記事では、このエッセイの内容を深掘りしていく。

アトランタ児童殺人事件-The Atlanta Child Murders—

まず、このエッセイは、
1985年にアメリカで放映された「The Atlanta Child Murders」(アトランタ児童殺人事件)というタイトルのテレビ番組の内容について書かれたものだということは押さえておきたい。

この番組は、アトランタで実際に起きた殺人事件に取材したドキュメンタリードラマだった。

実際に起きた事件というのは、1979年から1981年にかけてアメリカのジョージア州アトランタで発生した連続殺人事件のこと。

俗に「The Atlanta Child Murders」(アトランタ児童殺人事件)と呼ばれていた。
The Atlanta Child Murders(英語wiki)

事件のざっくりとした概要としては

・1979年~1981年のアメリカ・ジョージア州アトランタで発生した
・被害者は7歳から28歳までの黒人の子供と若者、
・最低でも28人が殺害された
・被害者の多くは10代の子どもだった。


この事件の犯人として、当時23歳の「Wayne Williams(ウェイン・ウィリアムズ)」という黒人の青年が逮捕されている。

殺人鬼ウェイン・ウィリアムズ

このウェインウィリアムズという殺人鬼が、注目される点としては、

おなじ黒人であるにも関わらず、黒人を差別し、黒人の若者や子供たちばかりを殺害した点

にある。
日本人の感覚としては、同じ人種間での殺人というものの異常性がピンと来ないが、
これはまだ今よりも黒人差別が色濃い時代で、それだけに黒人同士の結束力は強かった。
時代的に黒人を差別する黒人は珍しかった。
この事件も当初は黒人を差別する白人至上主義集団KKKの犯行が有力視されていた。
(ただ犯行は黒人居住区でのみで行われており、白人が立ち入れば目立つとして捜査線上からは外れた)

そんな時代にあって、ウェインは黒人であるにもかかわらず自分以外の黒人を差別する男だった

彼の両親は教師で、当時の黒人としては裕福な家庭で生まれた。
40歳を超えて授かったということもあり、両親から甘やかされて育てられたという。
さらに成績も優秀だったため、ウェインは周囲を見下して生きていた。

また彼は黒人男性専門の同性愛者でもあった。

つまり、ウェインは黒人を差別しながら黒人の男性を愛するという矛盾も抱えていたことになる

1981年6月にウェインは逮捕された。
しかし状況証拠ばかりだったため、逮捕されただけでほとんどの事件では裁判にはかけられていない。

結局、2件の殺人でのみ実刑判決を受け、終身刑で服役することになった。

つまり、アトランタ事件はおそらくウェインが犯人とされているものの、
(実際ウェインが逮捕されてからは連続殺人は発生していないらしい)
冤罪も噂され未解決事件ということになる。

ウェイン本人は当初から無罪を訴え、現在も服役中である。

こののち、ウェイン・ウィリアムズやアトランタ児童殺人事件はいくつかの映像作品で描かれることになる。
その最初が、ウェイン逮捕の4年後、1985年にアメリカのテレビ局CBSが放送したテレビミニシリーズ「The Atlanta Child Murders」だったのである。

ドキュメンタリードラマ「The Atlanta Child Murders」の内容

さて、このアトランタの事件を踏まえてドキュメンタリードラマ「The Atlanta Child Murders」は製作された。

この番組のwiki(英語版)
The Atlanta Child Murders(miniseries)

脚本を書いたのはAbby Mann(アビー・マン)という脚本家・プロデューサーである。

あまり英語が得意ではないので、以下に述べるこのドラマの内容の正確性については、各人で確かめていただきたい。※もし誤認があれば見つけ次第修します。

エッセイによると、ドラマは2部構成で約5時間もあったらしく、アメリカ全土で5000万人が見たというのだから、まちがいなく高視聴率番組であった。

ドキュメンタリードラマといっても、捜査官ベン・シェルターは架空の人物であり、全員が実名という完璧なドキュメンタリーというわけではなさそう。ちなみにベン・シェルター役はモーガン・フリーマン(大好きな俳優さん!)。

ドラマの大まかな内容

1979 年~ 1981 年にかけて、アトランタで 29 人のアフリカ系アメリカ人の子供や若者がが殺害された。
この事件は全国的な注目を集め、多くの市民はKKKなどの白人至上主義団体の犯行を疑った。
しかし、1981年6月に23歳のアフリカ系アメリカ人「ウェイン・ウィリアムズ」が、2件の殺人について第一級殺人罪で逮捕された。
8ヶ月後、ウィリアムズは2件の殺人で有罪判決を受け、2回の終身刑が下った。
しかし一部の関係者は、真犯人はウィリアムズではないと推測する。
この事件は注目度は高いものの、証拠が少なく解決不可能と思われる。そこで、地元の捜査当局が事件を終わらせるため、ウェインをスケープゴート=犯人に仕立て上げたのだ、と。
しかし、すべてではないにしても、ほとんどの犯行は、ウィリアムズのもだと一般には思われている。アトランタ児童殺人事件で裁判にかけられた人物は他に一人もいない。

このドラマの内容は賛否を生むことになる。

たとえば、
・捜査当局によるスケープゴートなど、事件が未解決であたかもウィリアムが犯人ではない可能性を強調するのは議論の余地がある。
・ジョージア州の最高裁判所がウィリアムズへの有罪判決を支持したことを描いていない
などが批判として挙がっている。

そしてこのドラマについて1985年の2月にTIME誌掲載したエッセイが、”It’s media”の挿絵が掲載された「The Dangers of Docudrama」(ドキュメンタリードラマの危険性)だったのである。

“The Dangers of Docudrama”の要点

まず、ウィリアム・A・ヘンリー三世”The Dangers of Docudrama”の全文はこちらで読むことができる。
The Dangers of Docudrama

ここから(拙い英語力で)翻訳しながら、読み解いていきたいと思う。
※ちなみに”Docudrama”というのは、ドキュメンタリードラマのことであり、実際に起った出来事をドラマとして再現したもののことである。

まず真っ先に指摘されたのは、アビー・マンによる脚本、つまりストーリーラインへの批判だった。
ドラマでは、ウェイン・ウィリアムズの裁判を要約して再現することになる。
事実の省略。実際に起きたことをドラマや映画で再現するには必ず必要になる。
実際に起きたこと、事実のうちどれを伝えるのか?どこまで伝えるのか、あるいは伝えるないのか。
製作陣が意図したい内容を伝えるための、”省略”や”強調”が起きる。

一番尊重されるべき、事実はどこにあるのか?
それは裁判、陪審員の評決である。それが法治国家としての基本のはずだ。
けれど、内容が良くできていればいるほど、観客の中での”事実”はドラマや映画で見た内容であるということになる。

In law, the verdict of the jurors (later affirmed by the Georgia Supreme Court) was definitive. But in the minds of much of the public, the reality of what happened in Atlanta may more likely be what they saw enacted last week on TV.
(法律の上では、陪審員によるウィリアムは少なくとも2件の殺人で有罪という評決(これはのちにジョージア州最高裁判所によって肯定された)が最終的なものであった。 しかし、多くの国民の心の中には、アトランタで起きたことの現実というのは、先週テレビで放映されたものである可能性が高いかもしれない。

“The Dangers of Docudrama”

そして、このエッセイはタイトルが示す通り、ドラマ「The Atlanta Child Murders」を批判し、ドキュメンタリードラマの危険性を指摘している。

そしてこのエッセイの一番重要な部分はなぜ”テレビ”でドキュメンタリードラマを放送するのは危険なのか、ということにある。

筆者ウィリアム・ヘンリー三世は、ドキュメンタリードラマの製作陣が、
自分たちは作為を加えず出来事を客観的に伝えるルポルタージュではなく、芸術を作っているのだと主張する点を指摘した。

製作陣は、自分たちの作品をシェイクスピアの歴史劇や歴史小説に例える。

Says CBS Vice President Donald Wear: “Dramas based on fact are a part of literature and the theater, and if television is going to be a vital and contemporary medium, they have to be part of TV, too.”
(CBS(”The Atlanta Child Murders”を製作したテレビ局)の副社長は、「事実に基づいたドラマは文学と演劇の一部であり、テレビが重要な現代メディアになるのであれば、ドラマもテレビの一部でなければならない」とも語っているのだ。)

“The Dangers of Docudrama”

しかし、舞台や歴史小説と、テレビのあいだには根本的な違いがある、と筆者は主張する
それはなぜか?
それは、テレビがニュース・報道も扱うためだ。

books and plays are not news media. Television serves as a primary source of news for a majority of Americans. The reasonable viewer can, of course, distinguish between a sitcom and a news special. But it is not clear how many viewers recognize that a network may have one standard of fidelity to fact in its 7 p.m. newscast, and another an hour later in its docudramas.
(本や演劇はニュースメディアではない。 テレビは大多数のアメリカ人にとって主要なニュースの情報源となっている。 もちろん、まともな視聴者はバラエティー番組と報道番組を区別できる。 しかしどのくらいの視聴者が、テレビ局は午後7時のニュース番組には事実を担保するために1つの基準を持っているかもしれないと気づけているかは、わからない。 ニュース番組の1時間後にはドキュメンタリードラマが放送された。)

“The Dangers of Docudrama”

その日、実際に起きたことをできるだけ忠実に公平に伝えようとするニュース番組・報道番組と、脚本家などの意図が混じったドキュメンタリードラマとでは、性質が根本的に異なっている。
たしかに史実や実際に起きたことを扱う演劇や小説には著者の政治的なメッセージを込められることはあるが、それらは新聞などの他のニュースメディアとはちがう独立した媒体として存在する。

しかし、テレビはニュースとフィクションが入り混じっている。

一定の事実を担保して公平に伝えたニュース番組を放送したすぐあとに、
事実と製作陣の主張が入り混じった番組が放送されたとき、
いったいどれほどの視聴者がそのちがいに気づけるのか、と筆者は述べているのだ。

そしてもし活字の本ならば、まちがった内容を含んだものが出れば、それを批判する新しい本が出版される。これまでの定説をひっくり返す新しい歴史的な発見があれば、定説が修正・改訂されていく。

Few books ever become truly “definitive,” in the sense that no further books are written to challenge their interpretation.
(その解釈に異議を唱える本がこれ以上書かれないという意味では、本当に「決定版」となる本はほとんどない)

“The Dangers of Docudrama”

新たな発見や解釈がなされていくために、どんな出来事を記した本にも完璧な「決定版」はほとんどないと筆者は語る。

しかし、次から次へと出版される本とは異なり、おなじ出来事を扱ったドキュメンタリードラマが何本も製作されることは少ない。
もし誤った認識で製作されたドキュメンタリードラマが放送されても、それを訂正したドキュメンタリードラマが製作される機会はそう多くはないし、情報の修正が浸透するか怪しい。視聴率が高く、人気を博したドキュメンタリードラマがその出来事の”決定版”になる可能性があるのだ。

ジャーナリズム、報道の役割を担うテレビ局が、事実を軽く扱う危険性について警告してエッセイは終わる。

In a thoughtful, democratic society, nothing is more sacred and vital than the ability to agree on, and face, the facts, whatever they may be. For networks that pride themselves on their journalism to play fast and loose with facts, whatever the intentions, is deplorable. For the public, a little false knowledge can be a dangerous thing.
(思慮深く民主主義的な社会では、事実がどうであれ、その事実に同意し向き合う力ほど神聖で不可欠なものはない。 ジャーナリズムに誇りを持っているテレビ局が、どんな意図であれ、事実を軽々しく扱うのは嘆かわしいことだ。 一般人にとっては、ちょっとしたまちがった知識が危険なことになる可能性があるのだ)

“The Dangers of Docudrama”

まとめ

ウィリアム・A・ヘンリー三世が”The Dangers of Docudrama”で述べた危険性は、もはやドキュメンタリードラマに限ったことではない。
むしろここで指摘された危険性は、メディアが多様化し、今も拡大し続いている。
むしろ、あらゆるところで編集され省略された映像が出回る。
なにが事実で何が”意図”なのか。
SNSに日々投下されるフェイクニュース。
最近で言えば、AI加工技術の登場もそうだ。
もはや簡単には見分けられない。
インターネットの登場によって、オールドメディアの嘘が暴かれる面もあるが、インターネットが危険性を拡大することもある。

この記事もそうだ。編集されないメディアなどない。

物事は表裏一体であり、誰もこの流れは止めることはできない。

だからこそ、あの風刺画はあちこちでまだ貼られ続けるのだろう。

参考サイト
日本語でウェインウィリアムズについて書いてあった民間のサイト
ウェイン・ウィリアムズ(殺人博物館~快楽殺人)
ウェイン・ウィリアムズ!黒人だけど黒人差別主義者の殺人鬼!
同種を嫌悪した戦慄の倒錯者

ドキュメンタリードラマ”The Atlanta Child Murders”について書いてある記事
Controversial docudrama grapples with the Atlanta child murders
TV VIEW; ‘THE ATLANTA CHILD MURDERS’: A TRIAL BY TV(NYタイムズ,1985/2/10)

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