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【約ネバ】原作改変と実写化 日々積み上がる負の遺産 ~すごいのは原作であって映像じゃないのか

アニメ・マンガ

どうも、存在感をあやふやにしながらやっていきたいふじみです。

Twitter見てたら「約束のネバーランド」が、燃え上がる方向で盛り上がっているので、ああーという感じです。ぼくは原作を漫画喫茶で読んでいたので、原作改変が始まったくらいでリアルタイムで追うのはやめました。あとは最終話だけ、ちらりと見たくらいです。

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クール途中での原作からの大幅改変、最終話におけるスーパーダイジェスト。

何でこうなったのか、現場で何があったのか。

正確なところは、現場のみぞ知るところでしょうね。そして、守秘義務とか人間関係に配慮とか、そこら辺の制限で関係者は誰もぶっちゃけないでしょうね。

すこしぶっちゃけてた現場のアニメーターらしき方も、当該のTwitterアカウントを消しちゃったみたいですし。

SNSを見ると、なぜ、こうなったのか、すでに色んな考察がなされてるみたいです。

今のところ濃厚なのは、原作者の介入によるごたごたといった感じでしょうか。(ソースは、シリーズ構成で参加していたはずの原作者の途中降板と、上述の約ネバの制作現場で実際にいたアニメ―ターらしき方のぶっちゃけ。その方によると「集英社が原作者のこと先生なんて呼ぶからつけ上がる」というようなことを書いてましたね。)

集英社が、原作者を先生って呼んでるのかは知りませんし、現場で原作者がどうふるまったかなんて一般人の我々は知る由もありませんが、つけ上がる、という表現はなるほど、と思いました。

現状、日本の映像作品(映画館やテレビで放送されるアニメ、ドラマ、映画)というのは、「二次絵」によって成り立っていると言っても過言ではないと思います。

「二次絵」。要は、二次元のマンガとイラストです。

マンガというのは、もちろん週刊、隔月、月刊の雑誌で連載されているようなマンガのことです。昨今ではTwitter上で作者が書いていたものが連載や単行本化されるケースも多いですね。

イラストというのは、簡単に言えば、ライトノベルの表紙のことです。書店にずらりと並んでいるラノベのなかで、表紙のかわいい女の子に惹かれて購入したという人は多いんではないでしょうか。(だいたい表紙には、イラストレーターが描いたキャラクターたちが描かれており、さらにマンガ化、アニメ化の際には、このイラストがキャラクター原案という形で、キャラクターデザインの元になるわけですね。)

マンガとちがって文字ばかりのライトノベルにあっては、イラストとして描かれるキャラクターたちの姿というのは、漫画になれた若い読者が、物語をスムーズに読めるとっかかりになると思われます。(言わずもがな、名前しかないとよくわかんないけど、イラストがついて顔がわかれば、イメージしやすい)

逆に言えば、文章力がそこそこ稚拙でも、話のすじが多少おもしろくて、表紙(や挿絵)の女の子が可愛くて、そこそこ人気が出れば、若手のマンガ家使ってマンガ化してみて、それによってさらに読者を取り込んで人気が出れば、アニメ化までできる。

これがラノベ側からみたメディア展開でしょう。

マンガだと、原作マンガ→アニメ化、と行くのに対し、原作ライトノベル→マンガ化→アニメ化という流れが鉄板なわけです。ラノベ→アニメ化→マンガ化、というのはあまりない流れでしょう。

まとめると、このマンガとイラストというのは、映像作品を作るための原作となる絵たちなわけです。(※映像作品というのは、漫画やラノベではなく、視覚・聴覚で体験する作品のことです。アニメや実写作品が、ここに入ります。)

さて、前置きが長くなりましたが、現状、原作改変というのは「悪」とされる風潮があります。

枕詞のように「原作改変が一概に悪いわけではないが~」という人も、大抵、そのあといかにその作品の原作改変が悪なのかについて、説明してくれます。

ぼくだって、原作改変は勝率の低い賭けだと思います。

この風潮は、年を経るごとに強くなっていきます。

それは原作改変が、アニメ化の尺の都合だとか、現場でのごたごただとか、ネガティブな大人の事情によってなされることが多いからです。

そして、昨今成功した作品が、原作に忠実であるということも原作改変への風当たりを強くしています。(約ネバの一期、鬼滅、呪術、ここ一年の話題作はどれも(どれもジャンプですが)、キャラクター削除などの大きな改変は行われていません。)

これらの要素が、見る側の原作改変へのアレルギーを強くしています。

ところで、先述の、原作→アニメ化の矢印にはまだ先があります。

それは、実写化です。

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なぜ実写化、とくに実写映画化されるのかは明白で、監督や脚本家などによる原作なしの完全オリジナルより、原作がすでにあるものの方が、映画化した際、確実に原作のファン(のなん分の一か)は映画館へ来てくれるからです。

とくに実写映画でいうと、アニメに比べて稼ぎ出す興行収入の差は大きいです。

日本映画の興行収入ランキングトップ10に、実写映画は「踊る大捜査線」と「南極物語」しかありません。まあ、アニメ映画の方を見てもトップ10にいるのは鬼滅と宮崎駿と、新海誠なんですが。

日本映画の歴代興行収入一覧 – Wikipedia

ちなみに、日本映画なので、洋画は含んでいません。なので、「タイタニック」、「アナ雪」、「アバター」とかは考慮してません。あくまで、日本国内でつくられた映画限定で考えるということで。

それでは、さらにここから実写オリジナルな作品となると、トップ50で見ても、「踊る大捜査線」、「HERO」、「コードブルー」といったドラマの映画化か、12位の「子猫物語」しかありません。あとは、小説やマンガといった原作ありきの映画化なのです。

いかに原作があれば、ヒットする可能性を秘めているかがわかります。

さらには、テレビ放映されたドラマ版を「原作である」ととらえてみましょう。するとと、映画単体でのヒットは、「子猫物語」しかないことになります。50位まで見ても、35位の「おくりびと」が入るだけです。

このように実写かつ映画単体の作品でランキングを見ると、「子猫物語」の12位がいかに貴重で、ねこというのはいかに人間にとって尊いかがわかるランキングになってしまうのです。

一方で、映画単体のアニメ作品はというと、トップ50内に、宮崎駿をはじめとしたジブリ作品、新海誠、細田守、という強いラインナップがあります。

つまり、アニメと比較すると、実写映画それもドラマ版や原作のないオリジナルの作品で大ヒットしようというのは、非常に難しいわけです。

では、もし自分が、このデータを見せられたスポンサーだとしたらどうするでしょうか? 目の前には、原作のある実写映画の企画と、原作のない監督オリジナル映画の企画があります。どっちにお金を出すでしょう。当然、前者の方がお金をだしやすいですよね、大コケするなんてことはまずありません。だって、原作ファンが、見てくれるんですから。

そして、映画という二時間の尺に物語をおさめるために、改変が加えられ、映画オリジナルの展開になっていきます。

それを見た原作ファンは、ああ、また原作改変して、全然おもんないやんとため息を吐くことでしょう。しかし、時すでに遅く、すでにチケット代1800円を支払ったあとだったりするのです。

ここまで書いて、ぼくはひとつ悲しいことがあります。

映像作家たちの、オリジナリティというのはどこに行ってしまうか、ということです。

見る側の望む、原作改変のない、原作に忠実な作品。

それは、オリジナルの企画が通らない実写の監督だけではなく、比較的企画の通りやすいアニメの監督たちにからも、オリジナルを奪っていきます。

名の売れた実績のある監督でさえ、アニメをつくる予算を確保することは容易ではありません。

片方では、視聴者が原作に忠実であることを望んでおり、もう一方では、オリジナルの企画が通りづらく、原作ものばかりの映像作品が増えていく。(今期のアニメのうち、いったいオリジナル作品はどれくらいあるのでしょう。)

まるで原作というすでにある料理を、手探りで再現していく料理人のようです。

この兆候は、アニメから人気に火が付いたはずの「鬼滅」にもあります。原作ばかりが注目され、煉獄さんは「300憶の男」などと呼ばれますが、本来なら無限列車編を監督した外崎春雄、こそ「300憶の男」のはずなのですが。

そんな作品ばかりでは、自分なりのやり方はあっても、0から1をつくるような創造性が気づかぬうちに欠如していくでしょう。

いまやマンガ・アニメは、世界に誇る日本の文化となりました。

もちろん、この流れは今に始まったことでもなく、ずっと昔からあるものです。

黒澤明のように、本当の意味で自分の作品をつくるなんて人は、映画しか娯楽がなかった時代ならまだしも、テレビの普及からこっち、大変むずかしいことです。宮崎駿ですら、ナウシカを映画化をするとき、原作のない作品は難しいと言われたために、逆転の発想で、自分が原作漫画を描くということをしなくていはいけなかったのですから。

ただ、その構造、ヒット作という富を生むための文化の下でしずかに衰退してくものに、耳を澄まさずにはいられないのです。

約ネバの二期の炎上は、未来にあったはずの、”オリジナルの映像作品が生まれる芽”を、またひとつ潰してしまったように思えてなりません。

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