※ネタバレ有り。最終回まで読んでからの方がいいです。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は、浅野いにお氏による漫画作品。
2022年4月に最終12巻が発売、全100話で完結。
この記事では、最終話のネタバレを含めて
【二つのフジン】とは何を指しているのか?
100話のあのセリフの意味とは?
作品に残されたこの2つの疑問を考察していく。
99話/100話(最終話)『16年後』
99話で門出の父親は、侵略者がもたらしたタイムマシンによって、別の平行世界の自分へと意識を飛ばし、8.31の起きなかった平和な世界を生きることになる。
門出の父親がやって来た世界、
つまり99話・100話で描かれた世界は、平穏でハッピーな世界に見える。
・3.11という宇宙人の侵略はなく、母艦も浮いていない。
・無事大人になった門出は、父親とおなじ編集者として「ビッグコミックスピリッツ」編集部配属になり、花沢先生の担当になっている(モデルは、『アイアムアヒーロー』の花沢健吾)。前の世界では、叶わなかった渡良瀬との交際にも成功している。うまく行ってるかは別として。
・凰蘭は、S.E.S社のマーケティング部に所属し、100話では、新製品「Fujin」のメディア関係者発表会に登壇するまでになっている。
・街はA線に汚染されておらず、門出の父親も、3巻で死んだ「キホ」も生きている。
(※A線は、「A」と呼ばれる兵器によってもたらされたもの。元ネタは、核兵器と、放射線、放射能汚染。Aという名前の元ネタは、ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄の相方、藤子不二雄Ⓐじゃないかと思うんだけど、どうだろう?5巻でF元素・Fエネルギーというワードも出て来てるし)
・凰蘭の兄ひろしも痩せていてイケメンでニートじゃない。
すべては良くなったように見える……でも、なにか違う。
・門出が好きだった『イソベやん』という漫画が存在しない。
代わりの似たような漫画がある。
・凰蘭を誰も「おんたん」とは呼ばない。凰蘭は門出を呼び捨てでなく、「門出ちゃん」と呼ぶ。
8・31が起きなかったために出会わなかった人々、互いの関係の距離感、存在していたはずのものが、微妙に違うのだ。
この世界は、確かに別次元の未来なのである。
二つのフジン
100話、S.E.S社のマーケティング部所属の凰蘭が、新製品「Fujin」をメディア発表している。
「フジン」と言えば、元の世界には、第1巻から登場した新型対『侵略者』兵器「歩仁六式(ふじんろくしき)」がある。
この漢字表記の「歩仁」ふじんを開発したのは、S.E.S社の宝田であった(1巻でテレビ出演)。
ここで、歩仁というネーミングの意味について少し考えてみる。
「仁」という漢字の意味をググってみると、こう書いてある。
「おもいやり。いつくしみ。特に、儒教の根本理念として、自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、なさけぶかくある、思いやりの心。」
要は、相手にめっちゃ優しくする、くらいの感じで良いだろう。知らんけど。
次に、「仁」にはこんな意味もあると出てきた。
「ひと。「奇特な御仁(ごじん)」」
仁と書いて、「人」を表す古風な表現の言葉らしい。
つまり「歩仁」と書いて、「歩く真心」あるいは「歩く人」と読めるわけである。
ここで思い出されたのが、「ドラえもん」だった。
ドラえもんは、歩く人型(ネコ型だけど、フォルムは人型)であり、のび太への態度は「歩く真心」そのもの。なんて、思ったわけである。
あるいは、これは「イソベやん」とも置き換えられるべきだろう。
そもそもの「歩仁」は、対『侵略者』用であり、
そこには「対象を瞬時に破壊、燃焼させるので、市街地への墜落も防」(1巻)げ、A線なんてものも残らない。
つまり「エコ」なことを売りにしていたわけである。
そう言う意味では、人にやさしい、真心あるネーミングなわけである。(皮肉)
一方で、100話の「Fujin」になると、印象が全く違う。
凰蘭は「Fujin」を「未来からやって来た友達」と表現する。
これはまんま、「ドラえもん」、「イソベやん」である。
また現実では、しゃべる犬のロボット「aibo」でもある。
Fujinの歴史は、1999年にS.E.S社が自立稼働するペットロボットとして商品化した「tomoDutch」にまでさかのぼるとある(100話)。
これは明らかに、1999年に発売されたペットロボット、ソニーの「aibo」が念頭にある。
aiboは2006年に生産終了していたが、何年か前(2018年らしい)に発売され、話題になっていたことが記憶に新しい。
これも、約20年の時を経て生まれ変わったという「Fujin」と同じである。
まあ、デッドデーモンズデデデデストラクションはこういう現実からの引用も多いので、いちいち解説するのは野暮かもしれんが。
ただ、登壇したおんたんの「Fujin」についてのプレゼンのシーンは、この作品のテーマが「友達」であったのだと、実感できる。
「Fujinはいつも、あなたの側で、共に笑い、共に傷つき、共に泣いてくれます。」
未来からやって来た「イソベやんとべそ子」、しいては「ドラえもんとのび太」。あるいは、別世界から門出を助けにやって来たおんたんと門出。
凰蘭のピースに対する門出の苦笑いも、正直さと照れ臭さの入り混じった良い表現だったと思う。
あのセリフについて
100話で唐突に差し込まれるセリフがある。
「ちょっとおんたん!! それ以上近づいたら地球が壊れる!!」
「はにゃにゃフワ~~ッ!!」
というセリフ。
このセリフは、元の世界から来た”おんたん”と”門出”のものではないか。
正確に言えば、8.31が発生した世界で行方不明になった、あの二人のセリフではないだろうか。
本作の世界を整理すると、3つの平行世界が描かれている。
1つは、8-9巻で描かれた門出が自殺した世界。
ここでは、凰蘭は「おんたん」と呼ばれ、二人は夏合宿に参加することで仲良くなり、子どもたちにいじめられいてた調査員の侵略者(イソベやんのなかに入ることになる)を助ける。
その後、門出は侵略者の道具を使って、ドラえもんの道具を悪用するのび太のようになる。最後は、取り返しのつかないことになり門出は自殺してしまう。
この世界では人類の暴力的で残酷な面(いじめる子供たち)さとやさしさ(おうらんと門出)を知った調査員が「本国」に「報告」をすることで、結果的に母艦はやってこない。
つまりおんたんにとっては、門出は自殺するが、人類は生き残る世界になる。
調査員の力を借りて、門出は2つ目の世界の自分に意識を飛ばしす”タイムトラベル”をする。
2つ目は、作中の大部分を占める、門出を生かすため凰蘭がやって来て、母艦も来た世界。
ここでも、凰蘭はおんたんと呼ばれている。
おんたんは、1つ目の世界の意識を持っている。
1つ目の世界と違い、おんたんが仕向けたために夏合宿には門出と一緒に参加せず、調査員と接触しなかった。
そのせいで調査員が人類の残酷さと自らをそんな酷い星に送った「本国」に絶望し、4年後に母艦がやってきた世界(9巻)。
それは、おんたんと門出が夏合宿に参加しなかった”せいで”人類が滅亡する世界。
最後、二人は行方不明になった。
3つ目は、最終話つまり10巻99話、100話の世界。
ここでは凰蘭は”おんたん”とは呼ばれない。母艦も来ていない。
2つ目の世界でマコトは、行方不明になった”おんたん”と門出について、生きているという可能性を示唆している。(97話)
また同時に、ふたばが侵略者の技術を応用した、タイムマシンの開発の可能性についても言及してい
る。(98話)
これらを踏まえると、
もしかしたら2つ目の世界では、
実は”おんたん”と門出は生きていて、
実は、タイムマシン(UFO)が完成したのではないか?
そして二人はそのタイムマシンを使って、3つ目の世界の二人を見に来たのではないか?
それでおんたんが、二人に声でもかけようと近付いたのではないか?
そして、3つ目の世界にないはずの『イソベやん』を落としてしまったのではないか?
そんなハッピーな場面を感じさせるシーンだった。
まとめ
SNSを見る感じ、最終巻の結末は賛否両論のようである。
ただ、3.11、コロナ禍を経たこんな世界で、友人は大事という真正直なテーマを、得意な表現で書ききったことは素晴らしいと思う。
お互いをあだ名や呼び捨てで呼ぶくらいの親友で、本当の意味での自分をさらけ出すことができる。変な奇行をしても許される。でも、世界は滅んでしまう。
一方で、本当に世界は平穏で、
お互いあだ名や呼び捨てにするほどでもないけれど、
奇行に走ることもない(せいぜい、壇上で友人に向かってピースするくらいが関の山(「はにゃにゃフワ~~ッ!!」なんて叫んだりしない)。
けれど、それでも十分に仲良くやってる世界。
どちらかではなく、両方がそういうあるべき世界の形なのかもしれない。
そう思うからこそ、どんな世界も肯定する、
「…そう、それでも」(207ページ)
「私たちは生きていく。」(208ページ)
というモノローグが沁みるわけである。
余談
DEMONとORANが、DORAEMONNのアナグラムであるとは、くだらないが恐れ入った。(100話192ページより)
考えてみたこともなかった。
キャラの元ネタについて気になったので、新しい記事を書きました↓
キャラの名前の由来について考察してます。良ければご覧ください。
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